【新崎基金活用報告】
はじめに
中村 紀子(JRSC顧問・ISR会長)
2014年に私が国際ロールシャッハ及び投映法学会(ISR)の会長に就任した直後の9月に、アルゼンチンのロールシャッハ学会ADEIPの会長(当時)フェルナンド・シルバースタインの招きで第25回を迎えた ADEIP(Asociación Argentina de Estudio e Investigación en Psicodiagnóstico)の大会で、“Assessment that Promotes Psychological Change”の基調講演をさせていただく機会を得た。その後2017年にも再度アルゼンチンのADEIP大会で同様の機会を得て“治療的アセスメント”について話す機会をいただいた。アルゼンチンは、丁度地球の向こう側に位置する国で、日本からは二日がかりでようやくたどり着ける国である。私は初めてこの国に降りついて、すぐさまアルゼンチンが好きになった。もともと、国際的なロールシャッハのノーマルデータ収集のリサーチの結果から、アルゼンチンとスペインと日本には共通する点が多く、興味があったこともある。
アルゼンチンのロールシャッハの歴史は長く、この国における学会の構成も日本と似ている。 ISRの設立から関わりのある70年近い歴史を持つAAPro(Asociación Argentina de Psicodiagnóstico de Rorschach)と、包括システムの会員も含む30年あまり経つADEIP(Asociación Argentina de Estudio e Investigación en Psicodiagnóstico)である。幸運にも2014年に、ADEIPのシルバースタイン会長がAAPRoの会長と役員の方々と私を引き合わせてくださった。さまざまな意見交換をする中で、もっと日本と交流してお互いの学会を活性化できたらとの希望が挙がった。ISRの大会がそのような場にふさわしいと言えるが、もっとローカルな大会レベルでの交流が可能にならないか、お互いに思案することを約束して別れた。
そして2019年、ようやくその時の話し合いの約束を果たせるチャンスを掴み実現することができて、心から嬉しく思っている。田中ネリ先生が往復4日間もかけて、達者なスペイン語で発表してくださり、アルゼンチンだけでなく近隣の南米の国々からロールシャッカーが集まる会議で、貴重な国際交流大使の役割を担ってくださった。深く感謝申し上げたい。インターネットで容易に世界中とつながれる現在、その恩恵も多大であるが、わざわざ出かけて行って、顔を合わせ同じ空気を吸ってこそ、その息遣いと存在を確かめ合いながら吸収し理解できることにも価値があると思う。そのご報告をここで共有できることを嬉しく思う。また、JRSCに設立された新崎基金が後押ししてくれたことも記しておきたい。
ラテンアメリカロールシャッハ学会(2019年8月開催)における「自己臭恐怖症-臨床像とロールシャッハ・テストによる心理アセスメント」の研究発表報告
“The Olfactory Reference Syndrome - Observations of the clinical picture and results of the Rorschach test for psychodiagnostic considerations”
田中ネリ(千葉メンタルクリニック・四谷ゆいクリニック)
第17回ラテンアメリカロールシャッハと他の投映法学会(ALAR Asociación Latinoamericana de Rorschach y otras Técnicas Proyectivas)と第12回アルゼンチンロールシャッハ精神診断学会 (AAPRO Asociación Argentina de Psicodiagnóstico de Rorschach)の合同大会が昨年、2019年8月の22日から24日、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された。学会の公式記録がホームページに掲載されており(http://www.asoc-arg-rorschach.com.ar)、学会の写真も見ることができる。
この学会にはアルゼンチン全土をはじめ、チリ、ウルグアイ、ブラジル、ドミニカ共和国、メキシコから258人の参加者を数えたが、現在のコロナウイルスの状況を考えると、多くの国の人が集まることが出来たのは今となっては奇跡のようである。
ホームページから推測できるように、学会の公式言語がスペイン語であった。ISR会長の中村紀子先生は日本とラテンアメリカのロールシャッハ学会とのつながりを望んでいらしたものの、言語が壁となっていたのが理解できた。この度、中村先生からアルゼンチンで発表、というご提案をいただき、その意図に共感し、かつて研究してきた口臭を訴える自己臭恐怖症のロールシャッハに関して発表する運びとなった。この機会をいただけたことに感謝を申し上げる。
ラテンアメリカロールシャッハ学会ALARは1996年、ブラジルで設立され、アルゼンチンからの代表者の一人が故Vera Campo先生であった。当初のメンバーはブラジルのロールシャッハ学会と1952年に設立された アルゼンチンロールシャッハ診断学会AAPROのみだったが、のちに他のラテンアメリカの国にもロールシャッハの教育と研究を広めることになった。ラテンアメリカロールシャッハ学会は数年に1度、ラテンアメリカで開催され、第16回大会は2015年、チリが主催している。
本大会の会長を、両学会会長のMaría Teresa Herrera先生が務めた。開催場所はブエノスアイレスの中心にあるCorrientes通りに面したUMSAアルゼンチン社会博物館大学であった。大会のテーマは「主観の問題―各々の分野と技法における展開」だった。
まずラテンアメリカのロールシャッハの動向を見るために学会のプログラムを紹介したい。特別講演が二つ、アルゼンチン分析学会のRafael Paz先生による「挑発としての精神分析臨床―主観化の逆説的な道」と大会副会長Lydia Burde先生による「つながりの分析における主観性」であった。以上のテーマから大会の精神分析的な流れを垣間見ることができる。伝統的なアルゼンチンのロールシャッハはKlopfer法に基づいているので日本の片口法には馴染みがある。
次に、シンポジュムとしてチリから「新たな主観と現実への入り口、視覚障害の学生へのロールシャッハ・テストの教育」や「インクルーシブ教育としてロールシャッハ・テストの触覚モダリティの応用」とロールシャッハ・テストへの斬新なアプローチが見られた。ウルグアイからは「教育カリキュラムにおけるロールシャッハの不在」、メキシコから包括システムによる「学業不振の評価におけるロ・テストの意義」、ブラジルからは「家庭内暴力分野における投映法」がテーマであった。
大まかに分野別でみると、司法や犯罪に関するワークショップや一般演題は、「ロールシャッハから見える性犯罪者のプロフィール」、「武器をもった人物描画―警官への応用」、「児童性犯罪」、「攻撃性の高い警官のZulligerテスト」、「ロールシャッハの評価による性犯罪の危険性」、「司法分野における特殊スコア」、「ロールシャッハによる性犯罪者の心理的特徴」、「ロールシャッハの司法分野への応用―反社会的人格障害の指標」、「司法分野におけるロールシャッハの限界吟味の方法論的な課題」等と11演題が見られ、アルゼンチンでのロールシャッハ、及び投映法と司法の分野とのつながりの強さを示している。
精神病理の分野においては、「青年期の精神的プロセス」,「病的肥満におけるアレキシサイミア」、「パーキンソン病の運動反応」、「自傷とジェンダーアイデンティー青年期女性のロールシャッハとHTP」等だった。産業関連においては、「産業分野でのZulligerテスト」や「職場の機能不全への投映法のアプローチ」等と、投映法の応用が見られた。
ロールシャッハを用いた研究ではパネル形式で、「6-9歳の児童の抽象化プロセスと主観」、「ロールシャッハにおける特殊スコアと心的複雑さとの関連」と「ロールシャッハにおけるメンタライゼーション、精神病理とのかかわり」という興味深いテーマが展開された。
そして各々のもち時間が1時間半の「会話の時間」において「ロールシャッハの内容の解釈とその問題」、「青年の自殺のリスクーPfiserのピラミッドテストの精神内界の力動」、「ロールシャッハの理論と解釈の際の適応」、および筆者の「自己臭恐怖症-臨床像とロールシャッハ・テストによる心理アセスメント」の4つの発表が企画された。このような機会を与えていただいたのはラテンアメリカロールシャッハの学会員が「Noriko」、と親しくよんでいる中村紀子先生に敬を表した結果だと思う(プログラム詳細はhttp://www.asoc-arg-rorschach.com.ar/revista/Actas-Noviembre-Congreso-2019.pdf)。
次に、二つの研究を簡単に紹介したい。一つ目はアルゼンチンのロールシャッハや投映法の分野と司法や法医学とのつながりを示すMarcela Adriana Baigorria先生の「攻撃性の高い警官のZulliger(Z)テスト」である。これは1942年、スイス軍隊で使用するためにZulligerによって開発された、3図版からなる集団投映法テストである。アルゼンチンの警察に勤務しているBaigorriaは警官の題行動の有無によってZテストの結果から50の指標を見出している。アルゼンチンの社会で警官の暴力が注目を浴びており、本研究は警官の問題行動の可能性を推測し、予防することを目的としている。対象は保安担当の33名の警官、問題行動があった群は14人、なしは19人であった。カイ二乗検定でM(人間運動反応)とFE fenómenos especiales (特殊スコアに共通なものもある)に有意な差が見られた。問題行動のあった警官のMの平均はコントロール群に比較して有意に低かった。Mの形態水準は両群とも良好であり、病的な観念や認知的な歪みは見られなかったが、問題行動群では内閉的論理、関係づけ言語表現が見られ、BaigorriaはM+にみられるFEは論理的な思考の失敗とみなし、自分の主観に基づいて他者と関わる危険性を指摘していた。
二つ目は、中村先生と長年の親交のあるFernando Silberstein先生の「ロールシャッハにおけるメンタライゼーション、精神病理とのかかわり」である。Silbersteinによると、人はテストで無意識なつながりを作る能力、現実的な判断、刺激と接触して投映された表現を統合する能力をバランスよくもつのが期待される。ロールシャッハの考えに基づいて、無意識的なつながりを作る能力は人間運動反応Mをみることに現れ、現実検討はF形態に現れ、そして外界との接触はFCとCFの反応に現れると指摘している。さらにカードⅡで色が明らかであるのにもかかわらず、カラー反応はテストの後半に出やすいのは、カラー反応には時間的な要因がかかわっており、後半になってはじめてカラーを取り入れることが出来るのではないかと仮定している。そのために患者でない100人にロールシャッハを実施した後に、全図版を5枚ずつ並べ、ストーリを作るように指示、その後にストーリを作る際にどのカードを選んできたか尋ねている。不思議なことにストーリで選ばれた決定因の順序はロールシャッハのプロトコールでの順序とほぼ同様であった。それにより、決定因のシーケンスは刺激とその順序とはほぼ無関係であり、情動的なプロセスによるものであると述べている。さらにカードXにカラー反応を出すことができた者が終わりのあるストーリを作ることができるという結果がみられた。人の物語の構造は認知的な解釈のプロセスと一致しており、いわゆるメンタライゼーションや言葉を通しての象徴化の情緒的プロセスに一致していると結論づけている。以上の研究は複雑でありながらもロールシャッハ・テストを用いた人のメンタライゼーションのプロセスの研究なので紹介した。
最後にアルゼンチンで筆者が発表した研究を紹介する。これは東京医科大学口腔外科において行った「自己臭恐怖症-臨床像とロールシャッハ・テストによる心理アセスメント」の研究であった。Pryse-Phillips(1971)によって西洋で紹介されたものの、参加者は自己臭恐怖症に関する知識がない、との話であった。日本では自己臭症者の体験は笠原(1972)によって:1)自分の身体のどこからか特有の臭いが漏れ出ており、2)それが傍らにいる他者に不快を与え、3)その結果他者にさげすまれ忌避されると確信していると定式化され、重症対人恐怖と分類された病態であり、口腔外科において口臭を訴え、その原因を身体的な要因に見いだし、病識が低いことが多い。
本研究は16例の自己臭恐怖症のロールシャッハに見られた包括システムの特殊スコア、Lerner Defense Scale(LDS)と全体顔反応を評定、特殊スコアではDR2は5例に見られ、このDRの内容は過度の情緒的な明細化が多く、LDSの投映性同一化PI(Projective Identification)との一致が見られた。FABCOM2は6例、LDSの分裂S(splitting)は6例に見られ、特にシーケンスで見た時にsplittingの原始的な防衛機制が見られた。認知自体の退行を示唆する全体顔反応は6例に見られた。多くはW反応が多く、平凡反応は平均と変わらなく、一応外界を認知した上で過剰な投影によって外界との境界が弱化するが、当初の対象を現実的に認知していた。自他の区別は出来ており、CONTAM反応は認められていない。以上からKernbergの病態水準でいうと、自己臭恐怖症に原始的防衛機制の境界例病態水準の例が多く認められたが、神経症レベルも見られ、重症度にはスペクトラムのある可能性が示唆された。症状の存在に対する確信の強さや幻臭の存在はより重い病態水準を示唆している可能性がある。
なお発表においてはフロアと多くやりとりをすることができ、帰国後にHerrera先生とPastorini先生の論文を送っていただいた。そのほか、精神鑑定のロールシャッハに関して意見交換の提案があり、最近はZoomを通してSilberstein先生に研究方法の具体的な説明を聞くことができた。筆者はスペイン語で話したが、今後双方が英語で話ができる場合、共同研究や他の交流の可能性が広がると思われる。
最後に:新崎祥隆様と新崎隆子様に心より感謝を申し上げます。中村紀子先生をはじめ、審査員の先生方、また東京医科大学の内田安信先生、牛山崇先生、小関英邦先生、東條英明先生と長年スーパービジョンをして下さった餅田彰子先生に感謝の意を表します。